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丁酉平成如月
2006年 10月 26日
教育基本法改正案に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」というのがあって、何だかよく分からない文言なのだが(なんとなくアナクロ)、いずれにせよ人文学的な検討は避けられないのだ。
#文化財保護法には「文化財がわが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなすものである」とある。 国民国家統合のためには、建国神話が必要だ。神話はもちろん粉飾物語に過ぎないが、歴史的事実と可能な限り結びつこうとする(箔がつく)。歴史が無いと言われるアメリカにだって、ピルグリムファーザーズ神話がある。日本には日本書紀と古事記がある。後は、記紀と結びつく史跡があればよい(地方では風土記がある)。そうやって神武陵も存在するわけだが、それはさておき。 日本書紀史観の克服(2001年3月24日) Re: ご当地考古学と『国民の歴史』(2001年5月25日)の前後のスレ 問題は、記紀や風土記と縁のない遺跡や時代だ。これらは原理的にナショナリズムとの関係が浅くなる。神話を超える部分に対しては、一般にはどう態度を取っていいか分からない居心地の悪さがあるのだ。早い話が、学問的関心の世界であって、従って専門家やマニアの関心領域と見なされる。ほとんどUFOの領域と同じなのだ。復元建物のテーマパークならば、集客力はあるが、深い関心を呼ぶわけではない。というか、日本では神武陵を気にするのは宮内庁書陵部くらいのもので(管理責任上)、そもそも皇国史観の崩壊した戦後日本では、ナショナリズムから古代史の大部分が切り離されている。今日では、邪馬台国論争も趣味の領域だ。 #昔は、縄文人は日本人と関係があるかどうかさえ疑問視されていた。今でもそういう観念は残っている(縄文人を異民族と見なす)。 #縄文理想郷の幻想も、異質視の範疇だろう。 極言すれば、日本人にとって記紀と皇室さえあれば、他はなくてもいいのだ。それなりに古くて貴重なものは何でも尊重されるけれども、それを言うなら縄文土器も古代エジプトの土器も同じ扱いである。メシより大事という程ではない(と見なされる)。ただし「文化財」には御陵が含まれないが、それは日本における埋蔵文化財や考古学の立場を示唆している。簡単に言うと、日本の考古学はナショナリズムの応援を殆ど受けることが出来ない。文化財保護優先や原因者負担が、開発や経済にとってコスト要因と見なされているだけだ。史跡整備はテーマパーク同様に集客力が求められる。 普通の国では、初期王権の陵墓を科学的、考古学的に調査研究することは、むしろナショナリズムを推し進める効果がある。被葬者推定が、宮内庁と考古学界でまるで違うのは常識だが(そもそも殆どは分からないのだが)、日本はそういう事を全く期待してない。実は、日本は唯一の王朝(皇統)が歴史の最初から継続しているから、それらは子孫がはっきりしていて今でも管理されている、言わば生きた墳墓なのだ。まさに祖先を祀る伊勢神宮とも近い存在なのだ。 #弥生の墳丘墓が発掘できるのは、まさに完全に忘れ去られていた過去の滅んだ王朝(?)のものだからだ。 改正教育基本法が盛り込む「(我が国と郷土の)伝統と文化」は何を意味するのであろうか。どの範囲を指すのであろうか。X層の石器も含まれるのだろうか。言うまでもないかもしれないが、伝統と文化の大半は極めて新しいものであり、最近になって作られ、数十年か、せいぜい百数十年の伝統を引いているに過ぎない。神社の杜の鬱蒼とした景観だって、戦後に出来たものだ。心の領域まで踏み込んでも、せいぜい室町時代末期まで振り返れば十分である。古いものに歴史の途中で新しく付加されたものもある。そうなると、歴史を見ているのか、歴史の改竄を見ているのか分からないから、慎重に嗅ぎ分ける必要がある。でも、伝統において真に重要なのは起源ではなく、いかに育てられてきたかだ。 そういう歴史リテラシーの教育は、必要かもしれない。歴史の虹を語るのは必要だが、ストーリーはアフリカの新人登場から始めれば大丈夫だ(笑)。日本人の先祖もアフリカから来たのである。もちろん、日本には住みやすい自然環境があり、適度に広大でありながら水系が複雑で、地域性とネットワーク性が適度にミックスされ、しかも適度に大陸から離れていた。そういう知識も必要なものだ。 関連:愛郷心と文化財行政(2006年 06月 16日)
by renes
| 2006-10-26 06:00
| ヘリテージ
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