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丁酉平成如月
2005年 08月 30日
縄文vs弥生展は、基本的には歴博の弥生年代観見直し議論の延長線上にある。だから、図録(の考古部門)には、いわば歴博節がにじみ出ている。
(1)国立歴史民俗博物館では水田稲作の開始を弥生時代の始まりと考えています...(p.018左段)まず、時代の開始を定義するのはともかく(定義は「約束事」だから?まあいい)、同じ頁の左段と右段で主語が入れ替わっている。これでは、国立歴史民俗博物館=考古学になってしまう。そんな無茶な... それにしても、(2)は前にも聞いたような気もするが、相当に猛烈な事が書いてある。定義上、そう見なす問題だからと片付けるには、あまりに(何かが)あからさまだ。国際法上有効な国籍を論じているのではないのだ。この定義では、最初から証明済みで、反証可能性がない。縄文人は、文化接触、文化変容を起こして、縄文系弥生人になるのではなかろうか。これは、思考法の問題だ。実は(2)の前に以下のようにある。 (3)弥生時代の人びとを弥生人といい、縄文時代の人びとを縄文人といいます。弥生時代には大陸から渡ってきた渡来系の弥生人だけでなく、縄文人の子孫もいました。彼らの多くは先祖代々住んでいたところに住み続けていたようです。こうしたターミノロジーを個々に見ると、それも「あり」かなと思ってしまうかもしれない。しかし、ここには大変な機微に触れる問題が語られている。「縄文人の子孫がいて、その多くは先祖代々住んでいたところに住み続けた」という叙述には、暗黙の前提がいくつもある(ここではまだ混血は語られていない)。さらに、こんな風にも書いてある。 (5)彼らが作った水田の中には、1区画が500m²もあるものがいくつもあるので、すべてを彼らだけで作っていたとは考えられません。おそらく在来人たちの協力を得て作ったのではないでしょうか。なぜ500m²だと「渡来人」だけで作れないのか分からないが、それはさておき、こう叙述することで、渡来系と在来系の関係が、ある構図に描かれてしまう。簡単に言ってしまえば、コロニアリズムの構図だが、それだと議論が拡散しすぎる。問題は、「在来人が渡来人に協力した」という舞台設定が出来てしまっていることだ。「構築」は別に悪いとは思わない。ただ「脱構築」の可能性を見つめておきたい。そもそも、「縄文系弥生人」では、「弥生化した縄文人」の意味が出てこない。
by renes
| 2005-08-30 01:00
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