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丁酉平成如月
2013年 06月 11日
「夏目漱石の美術世界展」(東京の芸大美術館での会期は7月7日迄)をブロガー内覧会(5月31日)で見てきた。少し時間があいたが、それは情報量が豊富というか、受け止め方の問題か。図録の情報量が多いので、なかなか消化できない。漱石と美術がこんなに密接な関係にあるとは知らなかったゆえかもしれない。
最初の感想は、これは文学館の仕事だという点だ。こういう切り口は、美術展としてはむしろ王道かもしれないくらい、はまっている。その理由は、芸術のコンテキスト性だ。最初から漱石という文学の切り口で捉えているのは、正解としか言いようがない。漱石文学に詳しい人であれば、垂涎の展覧会だったろうし、それほど詳しくない人から見れば、同時代性が感じられてやはり興味深い(もちろんだが、当時としての古美術も含めて)。結局、芸術は見られてなんぼである。それに、漱石は最初期の近代人(近代日本人)である。それは、常に再考に値する。 漱石の芸術論が紹介されているが、これに引っ掛かった(頁はいずれも図録)。 「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終わるものである」(p.33) 現代日本にも通じるが、当時でいえば国家と個人、あるいは社会と個の関係の問題か。しかし創作の方向性は色々異なってもよいが、そもそも芸術は強い象徴性を持ち、コンテキスト性から免れえない。個と集団は、必ずしも対比的に捉えるものでもないだろう。自己の内に社会は内面化されているともいえる。 日本では、自由が自己に帰属するかのように捉えられがちである。しかしそれはありえない。社会は自己の前提である。 「芸術の最初最終の大目的は他人とは没交渉であるといふ意味である」(p.37) ここまで書くとビョーキである。ここまでして精神の自立と自由を求めたのは、国家主義的な時代性の故とすべきかもしれないが、現代日本においてもそうした感覚が残るとすれば、いささか違和感を禁じえない。 段落追記:芸術を逃避に使っているとも言えるし、芸術の中でしか自己実現できなかったとも言える(いずれも言い方は極端だが)。これが「分かる」かと言えば分かる。だから、引用した漱石の言明は、字義通りではなく、広い背景の中で、彼の個人的事実として捉えるべきとも言える。それも「ひねた話」なのだが。 段落再追記:先の言明が示す実際の行為自体は、創作の極意そのものである。ただ、漱石の表現はそのように受け取れないものであった。 なおこの展覧会には、現代の作品が2点含まれている。注意していないと気づかない怖れがあるので注記しておくが、それは酒井抱一風の「虞美人草図屏風」推定試作(p.90)と『三四郎』の作中に出てくる架空の「緑の女」推定試作(p.117)。後者は黒田清輝っぽい。あまりに当時っぽいので、見逃しかねない。いずれも漱石文学上の架空の作品だが、芸大教授陣による再現的な推定試作である。 図録は最近の傾向なのか、約260頁で1050gもある。こういうものは、映画のパンフと違い、図録を先行発売して、予習してから見てもらう方がよいのではないかと思う(もっとも、この展覧会は3月26日に広島で始まっているが)。 芸大の後は、静岡県立博物館で7月13日から8月25日までやっている。
by renes
| 2013-06-11 02:00
| クリティーク
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