人生の要素は2つある。食う事と、それ以外だ。とはいえ、食う事には多大な広がりがあり、食う体制を維持することは、社会システムの全てに影響する。そうなると、「それ以外の事」は「食う事」とのつながりを本当に免れるのかどうか怪しくなる。
これを「生業」と言うと混乱しそうなので、ここでは簡単に「食糧生産の分業」の話という事にする。分業は、食糧生産では最初から当然発生する。狩に参加しなかった人も、肉を分けてもらえる。家族や仲間という範囲で、総合的にコラボレーションしているからだ。直接の食糧獲得に参加しなくても飢え死しないのが、広義の社会システムというものだろう。もっとも、畑を耕した人、種を蒔いた人、草むしりした人、収穫した人、全て違う人でも構わない。狩でも勢子と射手がいたりする。食糧生産の場面だけ見ても、手分けはごく普通のことである。
分担部分が専業化すると分業になるのかもしれないが、役割の固定化は別の問題である。2:8の法則というのがあって、よく働くのは2割の人だけだが、仮にその人達がいなくなると、残りの中の2割の人がよく働く人になったりする。
さて、この話のポイントは、畑を作った人だろう。あるいは農具を工夫した人でもいい。いったん建設・発明・製作され、インフラとなったものは、後にくる人の財産である。そうなると、美田を作った人、それを維持してきた人々の功績は語り継がれることになる。多分、歴史の始まりだ。