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丁酉平成如月
2010年 03月 23日
遺物は遺構であり、遺構は遺物である。原則的には別扱いしない方がよいというか、一緒に扱った方がよい。これは理論上かつ実践的な命題である。遺物には出土状況があり、出土状況は殆どの場合、(普通の意味で)遺構を意味する。単独出土と言っても、それがそこにあるには、理由や経緯があるはずで、そこを汲み取るかどうかは、調査員の認識にかかっているが、実際にはとりあえず記録して、報告した方がよい。もちろん、最後にどう分析して報告するかは、調査者次第であるが。
これは、遺構外出土を、原則として認めない立場であると言ってもいい。もちろん現実には、破片で、遺構との関連が分からない場合はあるが、それでも出土地点を(何らかの精度で)記録する事はできる。 複数の遺物をまとめて扱う場合はある。むしろ、その方が豊かな情報量を復元できる可能性が高い。元は一連だった遺物が破片となって分散している場合もあろうが、色々な遺物の出土状況をまとめて、一つの遺構に帰属させる場合はある。それを言うなら、複数の遺構として扱いうるものを、一つの遺構の括りで扱う場合もある。そもそも住居跡は複数の要素から成るし、カマドは複数の要素から成る。要素は、遺物の場合もあるし、土の形の場合もある。 遺物を含まない遺構はありうるが、遺構に帰属しない遺物は原則としてない。埋められた遺物があったら、埋められていた穴は遺構である(遺物よりどの程度大きいかはともかく)。普通の意味で遺構が分からなくても、遺物が(消えた)遺構の所在を示している可能性もある。遺物が単にそこに置かれただけだったとしても、そこに置かれたという意味の遺構と見なせる。そこに廃棄されたのなら、廃棄遺構である。 遺物を含まない遺構はありうると書いたが、遺物という存在は、調査者の認識にかかっているとも言える。例えば微細遺物を取り上げてもいいし、何らかの特徴的な覆土を遺物と見なしてもよい。 元々、遺物の最も一般的な定義は、「遺跡から取り外して持ち出しうるもの」である。加工痕という条件は、人工物の定義ではあるが、遺物の定義ではない。遺跡内で、考古学的な情報を汲み取れる物体を、人工物と非人工物に分ける事は出来そうだが、後者も人間の影響が関与している以上、全く無関係の第三者ではない。 風倒木は、普通に考えて遺構ではないけれど、これも人為的に改変された環境の証拠であるかもしれない(h氏示唆)。もっとも、それを言うなら、黒ボクも人類活動の影響で形成されたものであると考えれば、黒ボクも遺構であり、遺物なのかもしれない。 何も無い空間すら、広場という遺構であるかもしれない。遺構が無い事が遺構であるという訳だ。 つまり、遺構と遺物の認識は、いずれも調査者にかかっているし、遺構と遺物のダイコトミー(二分法)は、本質主義的には成り立たないだろう。分析手法、つまり認識の方法として採用されていると理解できる。 遺構の部品を遺物、遺構のデザイン(設計図、あるいは概念)を遺構と見なしてもいいかもしれない。遺構は痕跡だと言われるかもしれないが、それを言うなら遺物も(元の)遺物の痕跡(経年変化した残り物)である場合が多い。遺構認識は、作り手の意図を汲み取る事だから、概念を読み取る事と等しいはずだ。その概念の証拠となるものが、(例えば)遺構実測図になる。経年変化した結果の記録ではあるが、実測図は、概念上の遺構をある程度再現し、想像させるものとなるはずだ。概念へのこだわりは、遺物実測図でも通有である。 #ところで、遺構や遺物の上位概念である遺跡も、調査者の認識にかかっているはずだ。
by renes
| 2010-03-23 02:00
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